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東京地方裁判所 平成11年(ワ)8353号 判決

原告

鍾清漢

右訴訟代理人弁護士

香村博正

石井正春

被告

右代表者法務大臣

臼田日出男

右指定代理人

戸谷博子

赤池昭光

岡村雅彦

横尾輝男

龍崎博之

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告に対し、金二〇八〇万円及び内金一八〇〇万円に対する平成三年三月七日から、内金二八〇万円に対する平成一一年五月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

第二事案の概要

一  原告の所得税の申告等に関する基本的事実

以下の事実中、末尾括弧内に証拠を挙示したものは、当該証拠によってこれを認める。その余は、当事者間に争いがない。

1  原告は、税理士であった松尾玉廣(以下「松尾」という。)に対し、平成三年三月三日、平成二年分の所得税の申告に係る事務を委任した。

2  荻窪税務署の資産税担当の特別国税調査官であった宮下誠(以下「宮下」という。)及び松尾は、原告の平成二年分の譲渡所得に係る所得税(以下「本件所得税」という。)についてこれを免れさせようと企て、共謀の上、平成三年二月中旬ころから同年三月上旬ころにかけて、松尾において、渋谷税務署に対し原告が東京都杉並区に転出した旨の虚偽の連絡をし、原告に係る平成二年分の所得税の申告書(松尾において右譲渡所得を計上しないで作成、提出した。)及び譲渡所得申告相談・申告審理事績書等の課税資料を荻窪税務署に送付させた上、宮下において同税務署内においてこれを抜き取り、廃棄した。そのため、原告の右譲渡所得については申告がされず、その納付もされないままに推移した。

3  原告は、松尾に対し、平成三年三月六日現金合計一八〇五万円を交付した(甲第一、二号証)。

4(一)  松尾は、平成一〇年七月二一日当庁において、贈賄、所得税法違反被告事件について有罪判決を受けた。右の所得税法違反の罪となるべき事実は、納税義務者一三名ほかの者らとそれぞれ共謀の上譲渡所得に係る所得税の申告に当たり内容虚偽の各申告書を提出して右一三名をしてそれぞれ所得税を免れさせたものというものである。(乙第二号証)

(二)  宮下は、平成一〇年七月三日当庁において、加重収賄被告事件について有罪判決を受けた。右の罪となるべき事実は、右2と同様に、所轄税務署から転送されてきた六名の納税義務者の平成二年分の譲渡所得に係る所得税に関する課税資料を抜き取って隠匿、廃棄し、右納税義務者が右譲渡所得についての申告をせず、これに係る所得税を免れることが発覚しないよう取り計らい、その謝礼としての現金を受領したというものである。(乙第一号証)

二  争点

原告は、宮下及び松尾が本件所得税につき右一2のような逋脱行為をしているとは知らず、松尾から一八〇〇万円が納付すべき税額であると告げられ、その納付に充てられると信じて、この金額を右一3のとおり同人に預けたところ、同人がこれを着服横領したものであると主張し、これは、宮下の違法な職務執行を構成するものであるとして、国家賠償法一条一項に基づき、損害(1 松尾に納付資金として交付した金額一八〇〇万円、2 原告自らも所得税法違反の被疑事実につき取調べを受けたことに関する慰藉料一〇〇万円、3 弁護士費用一八〇万円の合計金額二〇八〇万円)の賠償及び民法所定の割合による遅延損害金(右1の損害については加害行為である松尾の金員領得の日の翌日を、右2、3の損害については本件訴状送達の日の翌日をそれぞれ起算日とする。)の支払を求めている。

したがって、本件の争点は、宮下及び松尾に原告の主張する違法行為があったかどうかの点にまず存することとなる。

第三争点に対する判断

一  争点に関する原告の主張事実については、これに副う原告本人の供述記載(甲第六、八号証)及び尋問結果がある。すなわち、原告は、真実本件所得税について申告をし、納付すべき税額を納付する意思で松尾に委任をした、松尾には、川崎市多摩区内所在の原告所有に係る土地(以下「本件土地」という。)の売却による譲渡所得について適法正当な節税を依頼した、松尾からは本来譲渡所得に係る税額は二千五百五十余万円となるところ、法律に基づく節税で一八〇〇万円で済むと聞かされ、そのとおり信じた、そこで、松尾に対し、前記第二の一3のとおり、納付資金一八〇〇万円を預けるとともに、同人に対する手数料五万円を支払った、松尾に一八〇〇万円を預けた後も、これが納付すべき税額に不足するときは、同人から追加を求めてくるものと思っていた、納期限後に原告の妻が電話で松尾に尋ねたところ、同人は、納税は済んだと答えたので安心していた、原告は、東京都杉並区への転出届をしたことはない、以上のように供述するのである。以下その採否についてみることとする。

二  原告の前示供述を前提としてみても、次のことを指摘すべきである。

1  原告は、松尾からは本来本件所得税のうち譲渡所得に係る税額は二五五〇万円以上にも上るところ、適法な節税で一八〇〇万円で済むと聞かされ、そのとおり信じたと供述しており、その供述によっても、原告は、右譲渡所得に係る税額は、そのいうところの節税をしなければ一八〇〇万円を大きく上回る二五五〇万円以上の金額となることを認識していたとみられることとなる。しかるに、原告は、適法な節税策がそれほど顕著に巧を奏したとしながら、節税策なるものの根拠法条等については、松尾から種々説明を受けたとし(前掲各供述記載)、また、同人の説明の内容はよく理解することができなかった旨を述べる(尋問結果)のみで、首肯すべき説明をすることができない。かえって、原告の供述によっても、松尾は、右説明の際に記入したメモに本件土地の草刈りに要した費用として、原告の申し出た金額を大幅に超える六〇〇万円を表す記載をしたことが看取されるのである。このことは、原告が税務の専門家ではないことを斟酌してもいささか不合理であるといわざるを得ず、原告としては適法な節税により納付すべき税額が一八〇〇万円に収まったと信じた旨をいうその供述の信用性を動揺させるものである。

2  原告は、以前には口座振替納付の方法により国税を納付したことがあったことを本人尋問において自認しながら、本件所得税については、なにゆえその方法によらず、預金を引き出して払出金を松尾に託すという迂遠な処理をしたのかについては、同人からそのように求められたというばかりで、これまた得心の行く弁疏がされていない。このことからすると、前記第二の一3の原告の松尾に対する金員の交付は、本件所得税の納付を依頼する趣旨に出たものではなかったのではないかとの疑いを拭い難いところである。

3  原告は、納付の確認については、前示のとおり妻が電話で松尾に尋ねたところ、納付を了した旨の返答を得たので安心していたと述べ、かつ、それ以上領収証書の引渡しを同人に求めるなどのことはしなかったことを自認するが、そのいうところによっても税額一八〇〇万円にもなる本件所得税の納付に関し、松尾の口頭の答え程度で安心し、確たる証書を確認しようとしなかったということは、いかに同人が当時税理士であったとしても、納税義務者の態度としては粗略、安易に過ぎるものであり、松尾への前記金員の交付の趣旨が本件所得税の納付にはなかったことの証左とみられても仕方がないというべきである。

4  右のとおり、原告の供述及び自認するところは、それ自体についてみても、重要な部分において不合理な点が指摘されるのであり、容易には採用することができない。

三  右に加え、乙第八号証(原告の検察官に対する供述調書)の記載内容との対比においては、前記一の供述は、次のようにいうべきものである。

1  前掲乙第八号証によると、原告は、自己に対する所得税法違反被疑事件について、東京地方検察庁検察官に対し、平成九年一一月三〇日次のように供述したことが認められる。すなわち、松尾は、原告に対し、本件土地の譲渡所得に係る納付すべき税額は、概算額二三一〇万円となるが、過大な譲渡費用を計上して算定した税額からさらに税額約八〇〇万円も安く済ませることができる旨を述べたので、原告も、松尾が架空の費用の計上等の手段により不正に税額を低くすることは分かっていたと供述しているのである。

しかして、右は、原告が自らに対する被疑事件の取調べにおいてあらかじめ黙秘権を告知された上で検察官に対して自己に不利益な事実を認めた供述であり、前掲乙第八号証によれば、原告は、これを録取した供述調書を読み聞かされ、誤りがない旨を申し立てて署名指印したことが認められるのである。原告は、右の供述調書の記載について、検察官から本件所得税については修正申告をすれば済む、原告に対しては公訴提起をしない、調書作成を待つことはできない、調書を書き直すことはあり得ないなどと告げられ、また、体調も思わしくなかったことなどから事実と相違するにもかかわらず署名指印に応じたという趣旨の弁解をするが、検察官が右のような対応に終始しなければならない理由は見出されない上に、右弁解に係る事情が仮にあったとしても、そうであるからといって、原告(甲第七号証及びその本人尋問の結果により、教育学を専攻する大学教授の地位にあることが認められる。)が軽々しく虚偽の租税逋脱を自認する供述をするとも直ちに考え難い。したがって、右のような弁解によって、右供述調書の記載の信用性を否定し去ることができるものではない。

2  また、乙第九号証(東京国税局調査官の作成に係る原告からの平成九年一一月二一日付け聴取書)をみても、前記譲渡所得について申告がされていないことについては、松尾に税金が安くなると持ちかけられ、それに乗り、不正な申告をしたことは、不徳の致すところであり、申し訳なく思っている旨の原告の供述記載があり、原告は、この聴取書にも誤りのないことを確認した上署名押印したことが認められるところ、この供述記載の信用性についても、右1と同様に評価すべきである。

3  しかして、原告自らがこれらの供述をしていることによれば、右譲渡所得に係る税額を正当な節税により一八〇〇万円とすることができた旨を松尾から聞き、そのように信じたという原告の前記一の供述の信用性については疑義を避けられず、そうであるとすれば、ひいて松尾に対し前記第二の一3のとおり一八〇〇万円を交付したのは、本件所得税の納付資金として同人に預ける趣旨であったとの供述部分についても疑いが差し挟まれざるを得ないというべきである。前掲乙第八号証の供述調書においても、右金員は本件所得税の納付資金として松尾に預けたものであるとの供述を原告が持していること、原告が前記の所得税法違反被疑事件について公訴の提起等の処分を受けた形跡がないことも、右判断を覆すには足りない。

四  以上判示したところに、原告から一八〇〇万円を受け取ったのは本件所得税につき不正な申告をしたことに対する謝礼であるとの松尾の検察官に対する供述調書(乙第四号証)の記載部分をも併せ考えると、結局、原告の前記一の供述は措信し難く、争点に関する原告の主張事実は、本件全証拠によってもこれを認めることができないといわざるを得ない。

第四結語

以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点についてみるまでもなく理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判官 長屋文裕)

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